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2025年8月20日更新

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シネマヴェーラ渋谷
で上映中・上映予定の映画


羽仁進レトロスペクティブ 映画を越境するⅡ
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羽仁進レトロスペクティブ 映画を越境するⅡ

羽仁進は1928年、東京に生まれた。父は歴史家の羽仁五郎、母は婦人運動家の羽仁説子、祖母は自由学園の創設者・羽仁もと子。1年間の共同通信社記者生活を経て、1949年に岩波映画製作所の設立に参加。『生活と水』で監督デビュー後、教育・記録映画の名作を次々に発表した。劇映画に進出後は、斬新な手法と自由な感性で日本ヌーヴェル・ヴァーグの旗手として高い評価を得た。 ウィーン映画祭、NYリンカーンセンター、ハーバード大学、イェール大学などで特集上映が行われ、世界的に評価が高い。ドキュメンタリーとフィクション、プロとアマチュア、大人と子供、男と女、日本と世界、全ての境界を軽やかに超えていく映画作家・羽仁進の傑作群を網羅。さらに未公開の新作『遥かなるPARADISE』と核の脅威を描く『予言』を加えてのレトロスペクティブ第二弾。 ▼特別上映 『双生児学級』『ドラムと少年』(2本立て) 『ブワナ・トシの歌』 『午前中の時間割り』 協力:国立映画アーカイブ/料金1300円均一(ポイント鑑賞不可・ポイント加算あり) ◆タイムカプセルに眠った羽仁進監督の幻の映画〈表情1970〉上映のお知らせ◆  高度経済成長期の日本を映した記録映画〈表情1970〉を特別上映します。70年万博における「タイム・カプセルEXPO’70」の一環として、日本社会の映像を5千年後に残すことをめざして制作された羽仁進監督作品です。 ほとんど世に出なかった「幻の映画」で、大阪歴史博物館によってデジタル化されました。当時の 人々の営み、政治、文化、芸能、民俗など日本社会の断面を捉えた貴重な記録映像を、この機会に是非ご覧ください。 日時:8月11日(月・祝)9:40~10:40 チケット料金:1300円(当日9:00より販売開始) 〈表情1970〉大阪歴史博物館所蔵 脚本・監督:羽仁進/ナレーター:三国一朗/60分/デジタル
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人間を描く ウィリアム・ワイラー特集
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人間を描く ウィリアム・ワイラー特集

ウィリアム・ワイラー William Wyler [1902- 1981] ドイツ帝国領生まれ。親戚のユニヴァーサル・スタジオ社長を頼って1920年に18歳で渡米。雑用係からキャリアを積んで1925年に短編西部劇で監督デビュー。『恋のからくり』『砂漠の生霊』などの作品が評価され、30年代にはユニヴァーサルの主要監督の1人になった。1936年にサミュエル・ゴールドウィンの独立プロダクションに移籍、同年『孔雀夫人』でアカデミー作品賞、監督賞を含む7部門にノミネートされた。その後『デッド・エンド』『嵐が丘』『偽りの花園』等が批評家から絶賛され興行的にも大成功した。グレッグ・トーランドが開発したパン・フォーカスを取り入れ、ワン・シークエンスで表現した演出を成功させたことで海外の批評家からも支持を得た。 第二次大戦中『ミニヴァー夫人』がアカデミー作品賞と監督賞を含む6部門を獲得。自らも参戦し戦争ドキュメンタリーを作った。戦後『我等の生涯の最良の年』アカデミー作品賞・監督賞など9部門を獲得。赤狩りには最後まで抵抗している。 『ベン・ハー』で3度目のアカデミー監督賞を得た。また、ベティ・デイヴィス、グリア・ガースン、フレドリック・マーチ、オリヴィア・デ・ハヴィランド、オードリー・ヘプバーン、チャールトン・ヘストン、バーブラ・ストライサンド等の出演者をオスカーに導いた。完璧主義者として知られ、テイクの数も多く、しばしば俳優やスタッフとの間に軋轢を引き起こしたことでも知られる。 ※『嵐が丘』は16mm上映
シネマヴェーラ渋谷


ジャン・グレミヨン&ジャック・ベッケル特集
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ジャン・グレミヨン&ジャック・ベッケル特集

ジャン・グレミヨン Jean Grémillon(1902 - 1959) シネマテーク・フランセーズの館長を務めたが(1943~58)、その評価は遅れ、呪われた映画作家として知られる。ヌーヴェル・ヴァーグのゆりかごと言われるコクトー、バザンらのシネクラブ「オブジェクティフ49」主催「呪われた映画祭」の賛同人。ゴダールが熱狂的に支持したと言われている。ごく最近「カイエ・デュ・シネマ」誌はグレミヨン特集を組んだが、「1950年代の『カイエ』はなぜグレミヨンを無視したのか」というインタビューで、ジャン・ドゥーシェは当時を振り返り、グレミヨンがルノワールと並ぶ最も偉大な映画作家であることは自明だったが、「ラ・ルヴュ・デュ・シネマ」誌が盛んに擁護していたためグレミヨンを忘れてしまったと語っている。 ジャック・ベッケル Jacques Becker(1906 - 1960) ルノワールと少年時代から親交があり30年代に彼の助監督を務めたベッケルをトリュフォーは映画作家として擁護し、ベッケルもヌーヴェル・ヴァーグの作家たちと交流が深かった。ゴダールは追悼文で“ジャック兄”と呼びかけ「フランス映画を撮るのに真にフランス式であり続けたのはジャック・ベッケルただ1人だけだった。」との賛辞を捧げた。 ■特別上映『燈台守』協力:国立映画アーカイブ *通常料金 ※5/31(土)に開催予定していた特別講義は登壇者都合により中止とさせていただきます。お客様にはご迷惑をおかけすることになり、申し訳ございません。ご理解いただきますようお願い申し上げます。
シネマヴェーラ渋谷





デトレフ・ジールクからダグラス・サークへ
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デトレフ・ジールクからダグラス・サークへ

ダグラス・サーク(Douglas Sirk, 本名:Hans Detlef Sierck, 1897- 1987) ハンブルク生まれ。両親がデンマーク人のためドイツとデンマークで育つ。ハンブルク大学時代から舞台演出家として活動。1934年にはウーファに雇われ、3本の短編を経て初長編『エイプリル・フール』を発表。『第九交響楽』(1936)で名を上げ、スタジオがスターにしたかったツァラー・レアンダーの2作品を監督することになる。 1937年にナチスを嫌ってドイツを離れ、スイスとオランダを経てアメリカへ亡命。ダグラス・サークに改名する。コロンビアと契約するも冷遇され、米国初監督作『ヒトラーの狂人』の公開は1943年だった。コロンビアとの契約に縛られ、赤狩りの嵐が吹き荒れる中、ドイツでの製作の道を探るが諦めて米国に帰国。その後にユニヴァーサルと契約し10年に渡る豊饒な期間が始まる。多彩な作品を撮った後、サークのイメージを決定づけたメロドラマを連作。ユニヴァーサルのトップ監督の一人となるが、契約を打ち切りスイスに移住。その後は舞台の演出に携わっていた。 ■特別上映 1/3(金)、1/26(日) 『いつも明日はある』均一料金1500円(ポイント鑑賞不可) ■トーク付き上映 1/11(土)16:25~『いつも明日はある』上映後  ゲスト:蓮實重彦氏 均一料金2500円(ポイント鑑賞不可/加算不可) ※全作品デジタル上映
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